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2026.03.31

KYTの本質と目指すところ

形だけで終わらせない、KYTの本質と目指す姿

 

VR-learningの用途の1つとして考えられる、「KYTKiken Yochi Training、危険予知訓練)」。中央労働災害防止協会(中災防)で安全衛生エキスパートを務める笹尾健臣氏の解説をもとに、KYTにおける最も重要な目標とされる行動変容について、さらに深掘りしていきます。 

「ハインリッヒの法則」と「悪魔のくじ引き」

厚生労働省の統計によると労働災害の原因は、人の不安全な行動が9割を占めています(第3回の囲み記事参照)。しかし、不安全な行動が常に労働災害に直結するわけではありません。本来、現場には何重もの安全対策があるためです。

実際、不安全な行動をしてしまっても無事だった、という経験をお持ちの方も多いことでしょう。むしろ、現実にはそうしたケースが大半です。しかし、それは安全だったからではありません。不吉な結果が隠された「悪魔のくじ引き」を引いて、たまたま運良く当たり(災害)が出なかっただけに過ぎないのです。

私たちは不安全な行動をとるたびに、自覚のないままこの「くじ」を引き続けています。他の安全対策が機能せず、不運にもこの「くじ」を当ててしまった時、それが重大な事故へとつながります。

この「たまたま当たっていないだけ」という現象を、統計的に示した経験則として、よく知られているのが「ハインリッヒの法則」です。アメリカの損害保険会社に勤務していたハインリッヒ氏が導き出したもので、同一人物が起こした同種の事故330件のうち、1件の重大事故(重傷)の背後には、29件の軽微な事故(軽傷)があり、さらにその背景には負傷を伴わない300件の無傷事故(ヒヤリ・ハット)が存在するという内容です。

この法則に基づけば、不安全な状態・不安全な行動によって危険が迫っても事故に至らなかった場合、それはたまたま何らかの理由で助かったに過ぎず、一定の確率で事故になり得たのだと解釈することができます。

現場で行われるヒヤリ・ハット事例の報告や分析・共有は、単なる情報の記録作業ではありません。ハインリッヒの法則が示す「300件の無傷事故」を可視化することで、現場に潜む「悪魔のくじ引き」の実態を正しく把握し、重大事故につながる予兆を確実に摘み取るために不可欠な活動なのです。

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安全対策を多層で重ねる「スイスチーズモデル」

安全対策には、どれほど入念に設計しても必ずどこかに穴(欠陥)が存在します。そこで重要になるのが、複数の対策を組み合わせて多層的に施し、一つの対策の穴を別の対策で補うという考え方です。

これは、穴の開いたチーズを何枚も重ねる様子になぞらえて「スイスチーズモデル」と呼ばれています。一枚のチーズに穴があっても、何枚も重ねれば反対側まで一直線に貫通すること(=事故の発生)を防げる、というイメージです。

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リスク低減の優先順位としては、まず危険源そのものを除去・隔離する「本質安全化」などのハード対策が検討されるべきです。しかし、あらゆるリスクをハード面だけで完全に排除することは、技術的・経済的な制約から困難な場合も少なくありません。そのため、経営者はコストや生産性への影響を総合的に勘案し、ハードとソフト(作業手順、教育、監督など)を最適に組み合わせ、多重の防護壁を築く必要があります。

とはいえ、経営者がハード・ソフト両面で最善を尽くしても、それでもなお危険を完全に排除することはできません。あらゆる安全対策には必ず限界があり、すべての危険源に対策を講じることも現実的ではありません。

また、人間の作業にはミスや油断がつきものです。安全な手順を忘れてしまったり、「このくらい大丈夫だろう」と手順を省略したりすることもあります。危険に気付かず見落とすこともあれば、手順を正しく理解し、習熟していても手元の狂いが生じることだってあります。ヒューマンエラーを完全に無くすことは、決してできないのです。

つまり、「管理者が最善を尽くしても、人はミスをし、ルールから逸脱する」という前提に立ち、ヒューマンエラーの発生確率を極限まで低減する努力が求められます。そのために、職場全体であらゆる手段を講じる安全活動が不可欠であり、その中核を成す極めて有効な手法の一つが、まさにKYTなのです。

「行動が変わり続ける仕組み」を目指す

KYTは、安全教育で得た気付きを行動に変え、日々の作業の中で繰り返し確かめていくための、現場に最も近い実践的な枠組みです。単にKYボードに向かって項目を埋めるだけの活動でもなければ、危険を見つけること自体が目的の訓練でもありません。現場で働く人一人ひとりが、作業を頭の中でたどりながら危険を捉え直し、判断し、取るべき行動をチームで決め、確認し、実践していく。それを通じて、現場の人たちの思考や行動が常に安全側に向かう状態を目指すものです。

この点で、単なる知識を与える教育とは役割が異なります。危険を教える教育や体感教育も安全確保には重要ですが、「知っている」「分かっている」だけでは行動変容には不十分です。教育を通じて得た知識や実感を、実際の職場での行動に結びつけていく役割を担うのがKYTです。

一方で、このような性質があるがゆえに、KYTは成果が見えにくいという側面もあります。だからこそ、現場で交わされる言葉や、作業前の一瞬の立ち止まり、自然に出る指差し呼称や声かけといった小さな行動の変化に着目するべきであり、それこそが、KYTが正しい方向に育っているサインといえます。こうした変化を見極めるには、安全アンケートや「KKマッピング」(危険感受性(K)と危険敢行性(K)をチェックリストで確認し、不安全行動を防止する活動)という手法を採用するのも有効です。

その行動変容を見極めつつ、活動を繰り返していくことが重要であり、その積み重ねによって危険に対する感受性や判断の質が高まり、結果として災害が起きにくい状態がつくられていきます。取り組むべきは、KYTを「形としてこなす活動」に終わらせるのではなく、「行動が変わり続ける仕組み」として育てていくことです。その先にこそ、災害防止につながる本来のKYTの姿があるのではないでしょうか。

なぜKYTは形骸化するのか?
― 監督者の『日常リスクアセスメント』が安全文化の礎となる

現場には、高所や可動部、電気、化学物質といった多種多様なハザード(危険源)が存在します。しかし、これらは単に存在しているだけでは事故にはなりません。そこに「人」が介在し、接触した瞬間に牙を剥き、はじめて事故や災害を招く「リスク」へと変貌するのです。

安全管理において事業者が果たすべき最大の役割は、重篤な災害を招く危険源を「除去」すること。それが困難な場合は「囲い」を設けて人の接触を物理的に断つことです。しかし、こうした本質的な対策を講じた後も、現場にはどうしても「残留リスク」が存在し続けます。この取り除ききれないリスクを放置せず、いかにコントロールし続けるか。この継続的なリスク評価と管理の徹底こそが、事業者に求められる真の安全経営に他なりません。

この経営判断に基づくリスクコントロールを、現場の最前線で具現化するのが監督者の役割です。優れた監督者は、作業開始前に必ず現場を確認し、危険源を見つけた瞬間にリスクを評価し、その場で対策を完結させています。

それは「あんな場所には誰も行かないだろう」と楽観視するのではなく、「もし人が入り込んだらどうなるか」という発想を持つことです。危険源を特定し、人とハザードの関わりを予知して、即座に具体的な指示へと繋げる。この一連のプロセスこそ、現場における「日常リスクアセスメント」の本質であり、形骸化しない安全文化を根づかせるための、最も身近で力強い実践なのです。

例えば、足場の欠損があれば直ちに補強を命じる。あるいは「挟まれ防止のためにこの位置で作業せよ」「ここを持つと危険だからこちらを保持するように」といった、身体の動きを規定する具体的な手順を指示する。さらに、危険源に接近せざるを得ない場合には、必要な保護具を確実に着用させる。
こうした具体的な指示の背景に、「自分は今、リスクアセスメントを実践しているのだ」という監督者の自覚があれば、その実効性は飛躍的に高まります。形式的なリスクアセスメントの枠組みに囚われず、その思考プロセスを日常の作業指示に融合させることこそが、今、何より重要ではないでしょうか。

これは第1回で述べた通り、管理・監督者が担うべき「第一次KYT」そのものです。こうした精度の高い作業指示の積み重ねこそが、経営側の安全方針を現場で現実のものとする確かな道筋となります。

しかし一方で、本来は作業者の自主活動であるべき「第二次KYT」が、いつの間にか監督者目線の「指示のなぞり書き」に置き換わってしまっている場面も散見されます。
例えば、本来は作業指示や基本ルールとして徹底すべき「保護具の完全着用」などが、KYTの対策としてまとめられ、「保護具着用よし!」で締めくくられてしまうようなケースです。
これは、管理側が責任を持つべき「具体的な指示」が、知らぬ間に作業者の「自主活動」へと転嫁されている何よりの表れです。この境界線が曖昧になっている実態こそが、「リスクアセスメントとKYTの違いが分からない」という現場の混乱を招く最大の要因となっています。

日本の安全を支えてきた「現場力」への過度な依存が、今や管理側の責任を不明確にする構造的課題となっています。しかし、そのひずみを正し、「徹底した作業指示」と「それを受けた上での作業者によるKYT」というプロセスを明確に分けることが、安全活動に再び命を吹き込むことになります。
経営の意志を、監督者の一つひとつの指示という「形」に変えて現場に浸透させていく。その質の積み重ねこそが、現場の裁量に委ねられていた安全を「組織の力」へと昇華させ、真に強い安全文化を築き上げる礎となるのです。

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笹尾 健臣 氏

中央労働災害防止協会 安全衛生エキスパート
ANZENじゃぱん株式会社 代表取締役

総合化学メーカーでの設計・運転管理を経て安全衛生課長に就任し、KYTの全社定着を実現。中央労働災害防止協会では上席専門役として、上場企業を中心に研修・講演を多数担当。ゼロ災運動プログラム研究会の総括や教育プログラムの構築にも携わる。現在は、安全文化の定着を目的とした伴走型支援を展開。理論と実務を融合した実践的な指導により、多くの企業の安全レベル向上に貢献している。

https://anzenjapan.co.jp/
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